地すべり・斜面崩壊の物理メカニズム:斜面安定性の評価と不安定化要因
はじめに
地すべりや斜面崩壊は、斜面を構成する土塊や岩塊がその安定性を失い、重力によって下方へ移動する自然現象です。これらの現象は地形や地質、気象、地震など様々な要因が複合的に作用して発生します。その発生メカニズムを科学的・工学的に理解することは、現象予測や防災対策を検討する上で極めて重要となります。本稿では、斜面の安定性に関する基本的な物理原理、不安定化の主要因、および地すべり・斜面崩壊の具体的な物理メカニズムについて解説します。
斜面の安定性に関する基本原理
斜面が安定しているか不安定であるかは、土塊や岩塊が重力によって下方へ移動しようとする力(せん断応力)と、その移動に抵抗する力(せん断強度)のバランスによって決まります。斜面安定性の評価では、一般的に「安全率(Factor of Safety, Fs)」という指標が用いられます。安全率は、抵抗力(せん断強度)を駆動力(せん断応力)で割った値として定義されます。
Fs = 抵抗力 / 駆動力 = せん断強度 / せん断応力
安全率が1より大きい場合、抵抗力が駆動力より大きいため斜面は安定していると判断されます。安全率が1に等しいか、あるいは1より小さい場合、抵抗力が駆動力に等しいか小さい状態となり、斜面は不安定で破壊(移動)が発生する可能性が高いと判断されます。
せん断強度とせん断応力
土や岩のせん断強度は、主に以下の2つの要素によって構成されます。
- 粘着力(Cohesion, c): 土粒子間の引力やセメント化作用などによる抵抗力で、垂直応力によらず一定の値を示します。特に粘性土で重要な要素です。
- 内部摩擦角(Internal Friction Angle, φ): 土粒子間の摩擦抵抗や、粒子のかみ合わせ(インターロッキング)による抵抗に関連する値です。垂直応力が大きいほど摩擦抵抗が増加し、せん断強度も大きくなります。これはクールームの法則における摩擦項に相当します。
せん断強度は、垂直応力(σn)との関係で、一般的にモールの破壊基準に基づいて以下の式で表されます(クールームの法則):
τf = c + σn * tan(φ)
ここで、τfはせん断強度、cは粘着力、σnは破壊面上の垂直応力、φは内部摩擦角です。
一方、せん断応力(τ)は、斜面を構成する土塊や岩塊の自重、あるいは外力によって破壊面(潜在的な滑り面)に作用する、斜面下向きの力成分です。単純な無限長斜面の場合、せん断応力は斜面の傾斜角(β)と土の単位体積重量(γ)、滑り面の深さ(z)を用いて、τ = γ * z * sin(β) と表されます。また、垂直応力は σn = γ * z * cos(β) となります。この場合、安全率は以下のようになります。
Fs = (c + γ * z * cos(β) * tan(φ)) / (γ * z * sin(β))
この式から、傾斜角(β)が大きいほど、また滑り面の深さ(z)が大きいほどせん断応力が増加し、安全率が低下することが分かります。
不安定化の主要因
斜面の安全率を低下させ、不安定化を引き起こす主要な要因は多岐にわたりますが、特に重要なものを以下に挙げます。
水文要因(間隙水圧の上昇)
地すべり・斜面崩壊の最も一般的な誘因の一つが、地下水位の上昇による間隙水圧の増加です。土の中の隙間(間隙)を水が満たしている場合、その水が土粒子に垂直方向の圧力(間隙水圧, u)を及ぼします。この間隙水圧は、土粒子間にかかる有効応力(σ')を低下させます。有効応力の原理(テルツァーギの有効応力原理)によれば、全応力(σ)は有効応力(σ')と間隙水圧(u)の和、すなわち σ = σ' + u であり、せん断強度は有効垂直応力(σn')に依存します。
τf = c' + σn' * tan(φ') = c' + (σn - u) * tan(φ')
ここで、c'とφ'はそれぞれ有効応力に基づく粘着力と内部摩擦角です。 間隙水圧(u)が増加すると、垂直応力(σn)が一定であっても有効垂直応力(σn')は減少します。その結果、せん断強度が低下し、安全率が低下します。大雨や融雪による地下水供給量の増加は、地下水位を上昇させ、間隙水圧を著しく増加させるため、斜面を不安定化させる強力な誘因となります。
地震動の影響
地震が発生すると、斜面を構成する土塊には地震による慣性力が作用します。この慣性力は、斜面下向きのせん断応力を一時的に増加させる効果を持ちます。また、地震動によって飽和した砂質土などが液状化類似の現象を起こし、せん断強度が大きく低下する場合があります。これにより、地震の揺れそのものや、それに伴うせん断強度の低下によって安全率が急激に低下し、地すべりや斜面崩壊が発生することがあります。
地形・地質要因
- 傾斜角: 急峻な斜面ほど、自重によるせん断応力が大きくなり不安定になりやすい傾向があります。
- 地層構造: 滑りやすい軟弱な地層が存在する場合や、斜面の傾斜方向に沿って地層が傾斜している場合(構造斜面)、特定の深度や地層境界に沿って滑り面が形成されやすくなります。
- 断層や亀裂: 地盤に存在する断層や多数の亀裂は、地盤の連続性を失わせ、せん断強度を低下させる要因となります。
- 岩質: 風化しやすい岩や、水を含むと著しく強度を低下させる性質を持つ岩(例:スメクタイトなどの粘土鉱物を多く含む泥岩)は、不安定化のリスクを高めます。
その他の要因
- 風化・侵食: 斜面表層の岩石や土壌が風化・侵食されることで、地盤材料の強度が低下したり、不安定な地形が形成されたりします。
- 人為的な改変: 斜面の切土や盛土、あるいは構造物の設置による荷重増加なども、斜面にかかる応力状態を変化させ、不安定化を招く可能性があります。地下水流路の変更なども間隙水圧に影響を与えます。
地すべり・斜面崩壊の物理メカニズム詳細
地すべり・斜面崩壊は、破壊面の形態や移動速度によっていくつかの種類に分類されます。代表的なメカニズムを以下に示します。
せん断破壊型地すべり
特定の破壊面(滑り面)に沿って土塊が一体となって滑動するメカニズムです。 * 回転地すべり: 主に粘性土の比較的浅い斜面で発生しやすく、滑り面が円弧状になります。土塊は滑り面に沿って回転しながら移動します。破壊は斜面肩部の引張破壊から始まり、斜面末端部の隆起や圧縮破壊へと進展することが多いです。 * 移動地すべり(平面地すべり): 硬い基盤岩の上部に軟弱な地層が載っている場合や、構造面に沿って発生しやすく、比較的平面的な滑り面を形成します。土塊はほぼ一体となって下方へ移動します。
これらのせん断破壊型地すべりでは、前述の安全率の概念に基づき、滑り面に沿ったせん断応力がせん断強度を超過したときに滑動が発生します。破壊時には、滑り面上のせん断応力とせん断強度が釣り合った状態(極限平衡状態)に至ると考えられます。
流動型地すべり
土塊が水と混合して流体状となり、比較的速い速度で流下するメカニズムです。土石流などがこれに含まれます。飽和した土が地震動によって液状化したり、大量の雨水や湧水を吸収して含水比が上昇し、せん断強度が極端に低下することで発生します。流動化すると、もはや剛体的な滑動ではなく、流体の挙動に近い振る舞いを示します。
クリープ現象
地すべりは急激な現象だけでなく、非常にゆっくりとした速度で長期間にわたって進行する「クリープ」と呼ばれる現象も含まれます。土や岩石が、せん断強度以下の応力を受け続けても、時間と共に変形が進行する粘性的な性質によるものです。クリープが進行すると、地盤材料の微細な構造が破壊され、せん断強度が徐々に低下し、最終的に大規模な破壊に至る先行現象となることがあります。
観測と解析手法
地すべり・斜面崩壊のメカニズムを理解し、その挙動を予測するためには、様々な観測と解析手法が用いられます。
- 地形・地質調査: 現地の地形、地質構造、断層、湧水箇所などを詳細に調査し、潜在的な滑り面の位置や地盤特性を把握します。ボーリング調査による地層試料採取や室内土質試験、透水試験なども行われます。
- 物理探査: 弾性波探査や電気探査などにより、地下の地質構造や地下水分布を非破壊で推定します。
- 斜面挙動観測: 地下水位計、間隙水圧計、傾斜計、伸縮計、ひずみ計などを設置し、斜面内部の物理量の変化や変位を継続的に観測します。最近では、GNSS(Global Navigation Satellite System)や衛星SAR(Synthetic Aperture Radar)干渉法(InSAR)を用いた広範囲かつ高精度な地表面変位観測も利用されています。
- 斜面安定解析: 調査・観測結果に基づいて、斜面の安全率を定量的に評価する解析を行います。代表的な手法として、極限平衡法や有限要素法(FEM)、個別要素法(DEM)などがあります。これらの解析を通じて、不安定化の可能性のある領域や、間隙水圧増加、地震動などの影響が安全率に与える影響を評価します。
まとめ
地すべり・斜面崩壊は、地形、地質、水文、地震などの複数の要因が複雑に相互作用して発生する現象です。その根底には、斜面を構成する土塊や岩塊にかかるせん断応力と、それに対するせん断強度のバランス(安全率)の変化があります。特に、地下水位の上昇による間隙水圧の増加は、せん断強度を低下させる主要な誘因となります。地震動は、動的な応力増加と材料強度の低下の両面から斜面を不安定化させます。これらの物理メカニズムを詳細に理解し、適切な観測・解析手法を組み合わせることで、地すべり・斜面崩壊のリスク評価や対策検討の精度向上に繋がると考えられます。今後の研究により、複合的な要因が地すべり発生に至る連鎖的なプロセスや、破壊に至る前の微細な変位や物理量の変化を捉える手法の更なる高度化が期待されています。