降雹のメカニズム:積乱雲内の氷粒子成長と落下の物理
はじめに:降雹現象の概略
降雹(こうひょう)は、積乱雲(Cb)から降下する直径5mm以上の氷塊であり、農業やインフラに甚大な被害をもたらすことがあります。その発生は、積乱雲内部における特定の物理的・力学的条件に深く依存しています。本稿では、降雹が発生する積乱雲の構造、雹の成長メカニズム、および関連する物理学について詳細に解説します。
積乱雲の構造と降雹発生環境
降雹は、非常に発達した積乱雲、特にスーパーセルと呼ばれるタイプの積乱雲において発生しやすい傾向があります。降雹発生には、以下の要素が不可欠です。
- 強い上昇気流: 雹を大きく成長させるためには、氷粒子を長時間雲内に留め、落下させないほどの強力な上昇気流が必要です。発達した積乱雲の中心部では、上昇気流の速度が数十メートル毎秒に達することもあります。
- 豊富な過冷却水滴: 気温が0℃以下でも凍結していない液体の水滴を過冷却水滴と呼びます。積乱雲の内部、特に0℃から-40℃程度の温度帯には、この過冷却水滴が大量に存在します。雹の成長には、この過冷却水滴の付着(アクリッション)が主要なプロセスとなります。
- 氷晶核または凍結した粒子(胚): 雹の成長の初期段階では、核となる胚(はい)が必要です。これは、凍結した雨粒、雪片、霰(あられ)、または氷晶核(ice nucleus)に過冷却水滴が付着して凍結した粒子などです。
発達した積乱雲は、下層からの暖かく湿った空気の供給による強い上昇流、中層の乾燥空気の流入、および上空の強い水平風(ウィンドシアー)によって維持される回転する構造(メソサイクロン)を持つことがあります。この強力かつ持続的な上昇気流の存在が、大きな雹の成長を可能にします。
雹の成長メカニズム:アクリッションと層状構造
雹の成長は、主に積乱雲内部を輸送される氷の粒子が、周囲の過冷却水滴や他の氷粒子を捕捉・凍結させるプロセスによって進行します。このプロセスをアクリッションと呼びます。
- 胚の形成: 雹の成長は、通常、積乱雲の中層(温度約-5℃~-10℃)で形成される胚から始まります。これは雪片が湿った環境で凍結したり、小さな過冷却雨粒が凍結したりすることで生じます。
- 過冷却水滴のアクリッション: 胚が積乱雲内の過冷却水滴が多い領域を通過する際に、水滴が衝突・付着して凍結します。凍結様式には主に二種類あります。
- 乾き成長(Dry Growth): 胚の表面温度が約-10℃以下の場合、付着した過冷却水滴は接触と同時に急速に凍結し、捕捉した空気がそのまま氷の中に閉じ込められます。これにより、不透明で脆い、密度が低い氷の層が形成されます。
- 濡れ成長(Wet Growth): 胚の表面温度が約0℃に近い場合(例えば、強い上昇気流によって過冷却水滴の付着率が高まり、潜熱解放で胚の表面温度が上昇した場合)、付着した過冷却水滴は表面で液体のまま広がり、ゆっくりと凍結します。この際、捕捉された空気が抜けるため、透明で硬く、密度の高い氷の層が形成されます。
- 雲内輸送と複数層の形成: 雹の胚は、積乱雲内の複雑な気流に乗って上昇・下降を繰り返します。この過程で、温度や過冷却水滴の量、上昇気流の速度が異なる領域を通過するため、乾き成長と濡れ成長が交互に起こり得ます。これにより、雹の断面にはタマネギ状の同心円状の層が見られることがあります。層の構造や数は、その雹が雲内でどのような経路をたどったかを反映しています。
- 衝突と合体: 成長中の雹は、他の氷粒子(雪片、霰、小さな雹など)と衝突し、合体することもあります。これも雹を大きくする一因となります。
雹が成長を続けるためには、胚が強い上昇気流によって支持され、十分な過冷却水滴を供給される領域に長時間留まる必要があります。上昇気流が強いほど、より大きな氷粒子が支持され、大きな雹に成長する可能性が高まります。
雹の落下
成長した雹が、その重力によって積乱雲内の上昇気流に支えきれなくなった時点で、地上に向かって落下を開始します。落下経路は、積乱雲内の下降気流(ダウンドラフト)や水平風の影響を受けます。大きな雹ほど、上昇気流の影響を受けにくくなり、落下速度も速くなります。地表に到達するまでに完全に融解しない粒子が、降雹として観測されます。
観測と研究手法
降雹のメカニズムの理解には、高度な観測技術と数値モデリングが不可欠です。
- 気象レーダー: 特に多重偏波気象レーダーは、降水粒子の形状、サイズ、相(水滴か氷か)に関する情報を提供します。偏波特性の解析により、雹と雨や雪を区別し、雹のサイズ分布や降雹域を推定することが可能です。
- ドップラーレーダー: 雲内の風速構造、特に上昇・下降気流の分布を観測し、雹の成長環境や輸送経路を把握するのに役立ちます。スーパーセルの回転構造の検出にも使用されます。
- 航空機観測・気球ゾンデ: 積乱雲内部の温度、湿度、水滴・氷粒子の分布を直接観測する手法ですが、危険を伴うため限定的です。
- 数値シミュレーション: 雲物理モデルや大気モデルを用いて、積乱雲の発達過程、雲内部の微物理プロセス(水滴・氷粒子の相互作用)、および雹の成長・輸送過程を詳細に再現し、メカニズムの解明や予測精度の向上に貢献しています。
これらの観測・研究から得られた知見により、降雹は単一の落下物ではなく、積乱雲という巨大な自然の反応器内で、空気力学、熱力学、雲物理学、微物理学が複雑に絡み合った結果生じる現象であることが理解されています。特に、過冷却水滴の量、上昇気流の強さと持続性、および核となる粒子の存在が、降雹の有無とサイズを決定する重要な要因であることが、多くの研究によって示されています。
まとめ
降雹は、積乱雲内の強力な上昇気流、豊富な過冷却水滴、および氷粒子胚の存在下で、過冷却水滴が氷粒子に付着・凍結するアクリッションプロセスによって主に成長する現象です。雲内の複雑な気流による粒子輸送と、乾き成長・濡れ成長の組み合わせが、雹特有の層状構造を生み出します。気象レーダーや数値シミュレーションなどの科学的手法により、この複雑なメカニズムの理解が進んでいます。降雹の予測精度向上は、防災・減災において重要な課題であり、その物理メカニズムに関するさらなる研究が続けられています。